20201120
今日は5時ごろに目覚めた。
ドラクエウォークを立ち上げたら、雨が降っていたのでGoogleに訊ねると曇り時々雨だと言う。窓の外を見たら洗濯物が風で荒ぶっていた。外は寒いかもしれない。そのままにして二度寝をした。
二度寝から目覚めて洗濯物を拾いに外に出た。
昨日今日と11月とは思われないほど気温が高く、湿気ていて、風が強い。北風小僧に出てくる木枯らしと言うよりは暖かな春一番といった方がしっくりくる。コールドスリープから目覚めてこの気候なら季節感が狂うだろうな。
この気候が一番好きだ。いつかを思い出して懐かしさが込み上げてくるが、いつかは分からない。なんだか安心だけする陽気だ。
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昨日、宣伝会議賞の締め切りがあった。1000本出したかったところ、360本余で終わった。
当初順調に書き出しており、9企業maxの100本を書いて、このまま書いていければ問題ないとたかを括っていたのだけれど、そこからは研鑽を辞め、実に怠惰に取り組んでいた。仕事も休み、取り組む時間は多分にあったが、慢心し、机に向かうこともできなかった。
提出フォームに書き出そうと見返すと、書き出されていたものはコピーですらなく文字の羅列であった。コピー用紙でなく、紙屑だった。
数を出してから本命を含ませていけばいいのだが、意味のない『人に見られたくはない』『俺は無能ではない』などという羞恥心が首を絞めてくる。虎にでもなればいいのだ。絵を描いた時も、脚本を描いた時も、いつだって頭を打ちつけたくなる衝動に駆られる。
そうした作品に自己を投影しているのだろうか。書くことで自己を証明しようとしているのだろうか。「見つけてもらいたい」などという大それた思いは俺にはない。見つけてもらえるだけの自己は俺にない。そのループの中に居続けたとて幸せになどなれるはずもないのに、他人の目に晒されない自己嫌悪の沼が心地よく
ぬるま湯に浸かり、矢面に立つことができない。人目に晒され、比較され、挫け、削られ、そういう中で磨かれていくのだ。原石は。俺の意志はどこ行った。もはや砂ではあるまいか。
そう思うと、何のために努力をしているのかわからなくなってくる。なぜ俺はこんな思いまでして渦中に立ち入ろうとしている。
苦しみたがりの性分は重々承知している。
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言葉の企画の最終回が間も無く訪れる。
今年の6月ごろから始まり、半年間。充実をしていたと確かに思う。講義を受けていなければどんな今年になっていたか、未来になっていたかを想像するとゾッとする。
幻影戦争のコピーを今さっき電車の中で見かけた。確かcmも良かった。
『自分が選ばなかった世界線と戦え』
受講していない世界線の俺は俺で、何もしてないかというと俺の性分を考えると何かやってるだろうケド。まぁ、それはそれとして。
変化をしたのは間違い無くて、俺が大学院に求めていた『知らない人と出会うこと』『いろんな人と友だちになること』の2つはこちらで満たされたような感じがする。
まったく違うたくさんの人に出会うことで、自分を定義し直してきた。
うーむむむ。
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まとまってないけど、眠いからここまでで。